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大会長
麻生一枝(成蹊大学)

1978年2月。アメリカ科学振興会年次大会。講演の順番待ちをしていたアメリカの昆虫学者E.O.ウィルソンは、近づいてきた若い女性に、頭から氷水を浴びせられた。意見の相違は議論で解決するのが標準である学術大会で起こったこの出来事は、ウィルソンがハーバード大学の教授であったことも相まって、かなりの注目を浴びた。

なぜウィルソンは、氷水を浴びせられたのか。その原因は、彼が1975年に出版した『社会生物学-新しい統合』(Sociobiology: The New Synthesis)にあった。その中で、彼は、自然選択による進化という視点から人間の社会行動を分析し、人間の本性や行動には生物学的な基盤があると主張したのだ。そして、その主張は、社会科学者や活動家のみならず、同僚の進化生物学者からも、批判や攻撃を受けた。

ウィルソンの『社会生物学-新しい統合』出版から50年余り。この半世紀に集積された、分子生物学、分子遺伝学、脳神経科学など生命科学分野の知見は、ヒトが地球生命30数億年の歴史の中で生まれた生物の一種であり、その行動には生物学的な基盤があることを支持している。そして、その結果だろう。進化心理学、進化倫理学、進化人類学など、多くの社会学系分野が、進化論的な考えを導入してきている。

一方、社会学、とくにジェンダー学に目を向ければ、今現在も生物学嫌いを固持しているように見受けられる。著名ジェンダー学者が、「フーコーの性の歴史以降、ジェンダー学では生物学という言葉は禁句になったのです」とYouTube講義で断言しているなど、少なくともジェンダー村の外にいる人間の目にはそう映る。

ジェンダー学は、なぜ生物学嫌いになったのか。生物学嫌いや生物学無視の姿勢は、今も続いているのか。そうだとしたら、進化の産物であるヒトの生物学的側面を無視したアプローチで、問うに値するジェンダーの問題を見つけることができるのか。手元のジェンダー関連の問題に、意味のある、妥当な答えを出すことはできるのか。LGBTQなど性的マイノリティへの関心が高まる今日、生物学無視は、性多様性の理解を妨げてはいないのか、政策を間違った方向に導いてはいないのか。

様々な背景・専門の方々にお集まりいただき、活発な議論を展開していただくことで、新しいジェンダー学の方向が見えてくるのではないだろうか。そんなことを期待している。

麻生一枝