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大会長よりご挨拶
第3回大会開催に当たって
‐性とこころを科学する‐


目白大学 原田 隆之


 このたび,第3回日本「性とこころ」関連問題学会学術記念大会の大会長をお引き受けすることとなった。その重責に身の引き締まる思いであるが,大会開催を前に,本学会に寄せる私の思いをお話ししたい。

 私は心理学の立場から本学会に関わっているが,「心理学は科学か」という問いに対して,「そうである」と答える者がきわめて少ないことにいつも驚いている。心理学は科学として誕生し,ほとんどすべての心理学会は自ら科学であると宣言しているにもかかわらず,当の心理学者や学生は,心理学が科学であることを認めたがらないのである。その理由の1つに,「人間の奥深さは科学ではわからない」という的外れな信念があり,それを聞くたびに私はいつもうんざりする。

 科学では人間がわからないと思っている人々は,宗教や芸術,ファンタジーのような人間の心に深く入り込み,心を揺さぶるような理解を通してこそ,人間の真実に到達できると考えがちである。それに対して,科学は人間を切り刻んで分析し,数字に還元できるものだけを扱うので,大切なものをたくさん取りこぼし,表面的な理解に終始していると思い違いをしている。

 例えば,我が国で最も人気の高い心理学者の1人,C.G.ユングは,我々人間は,時代や場所を超えて共通する普遍的な無意識を有していると考え,これを集合的無意識と呼んだ。人は個であると同時に,深いところで人間同士,さらには過去や宇宙ともつながっていると説く。洋の東西を問わず,神話に共通性があったり,大自然に対峙したときに誰しも同様に言いようのない畏怖の念を抱いたりするのは,この集合的無意識ゆえであると言う。このようなロマンティックな理論は,日本人の心の琴線に触れるところがあり,それだけで易々と無批判的に感動し,同調してしまう。しかし,敢えて言うが,集合的無意識などは,何の根拠もない薄っぺらな作り話であり,危険な疑似科学である。そのような態度は、人間性に対する冒涜でもあり、人間性の豊かさや奥深さを陳腐で欺瞞に満ちた理解へと貶めるものである。

 これに対し,真の科学からの回答はこうである。集合的無意識などという作り話を持ち出さなくても,科学は,人間同士,人間と宇宙,そして過去と現在が,深いところでつながっていることを事実として知っているし,実証もできる。カール・セーガンはこう言っている。

  しかし私には,現代の天体核物理学がもたらした驚くべき発見よりも深遠な宇宙的つながりがあるとは思えない。水素を別にすれば,人体を作っているすべての原子は,血の中の鉄にしろ,骨をつくるカルシウムにしろ,脳の中の炭素にしろ,何千光年もかなたの赤色巨星のなかで,何十億年も昔に作られたものなのだ。「われわれは星屑でできている」というのは,私のお気に入りのセリフである。

 このように科学によって判明した事実は,集合的無意識などという作り話に比べて,どちらが真実に近く,そしてどちらが深く我々を感動させるだろうか。さらに言えば,この科学的な説明によって,宇宙と人間を分析して客観的な理解に還元することで(確かに原子レベルまで切り刻まれているが),人間の不思議さや奥深さが失われるどころか,安っぽい空想的ファンタジーによる説明よりもはるかに人間についての理解が深まり,畏怖の念すら感じるようになるのではないだろうか。

 さて,前置きが長くなったが,性という問題は,言うまでもなく,人間の奥深いところに関わる問題である。したがって,性についても真実の理解を得たいのであれば,科学的な方法以外にないと私は考えている。誤解のないように言えば,私は性を文学的に扱うことに異を唱えているのではなく,それはこれまで通りどんどんやっていただいて,それに加えて今後,「性とこころ」の問題に対して,今以上に科学的な立場からの探究を進めるべきだと考えるのである。そして,安易な代替物によってごまかしの理解を得るのではなく,真実に最も近い場所で,性とその不思議を理解したいのである。そして,当学会がそのような探究を刺激する場となることを切に願うものである。

 私自身は,性犯罪や性嗜好障害とその治療について,科学的な理解を進めることを1つの課題として研究している。性犯罪や性嗜好障害はどうして起きるのだろうか,どのようにすれば抑止できるのか,効果的な治療法はいかなるものか,そして被害者の心の傷を癒すにはどのような方法が適切であるのか。こういった数々の問いに対して,気休めではなく,真実が知りたいのである。そして,それを提供してくれる方法は,間違ってもユングのような疑似科学ではなく,事実に対して謙虚にエビデンス証拠を重んじる科学しかありえない

 本学会が扱う様々な「性とこころ」に関連する問題の中には,科学によって真の回答を待っているものが数多くある。そして,その答が科学によって1つ1つ明らかにされていくことは,人間の不思議さやそれに対する畏怖の念を深めこそすれ,減じることはないはずである。次回第3回大会も,様々なトピックについて幅広い分野からの活発な研究や議論を通じて,「性とこころ」の謎に少しでも近づいていくことができるようなエキサイティングで着実な一歩となることを期待したい。



日本「性とこころ」関連問題学会 第3回学術研究大会